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創業の地に記念碑が立った話

2024年6月某日、北九州市小倉北区清水1丁目のセントラルユニ旧本社跡地に「セントラルユニ 創業の地」と表した記念碑が建ちました。記念碑の紹介とともに「本社」という切り口で73年におよぶセントラルユニの歴史を紐解いてみたいと思います。


記念碑に込められた想い

セントラルユニは現在、東京都千代田区西神田に本社を構えていますが、1951年の創業から2006年までの55年にわたり上記のとおり福岡県北九州市小倉北区清水に本社を構えていました。移転後は倉庫として使われる一方で地元の北九州マラソン大会の応援会場としても使用していました。

北九州マラソンを沿道から盛り上げていました

数年前に売却し、現在の地主様のご厚意で記念碑をつくらせていただきました。

記念碑プレート


1951年9月26日、株式会社セントラルユニの前身である、株式会社田中製作所小倉工場は、この地で事業の第一歩を踏み出しました。この記念碑は、当社の歴史と理念を象徴するものであり、皆様のご支援とご協力の賜物でございます。来たる100周年に向け、お客様の価値創造に努めてまいります。

「記念碑つづられた想い」

これからだけでなく、これからを見据えた想いが込められています。

▼経営理念「人間尊重、価値創造型企業」についてはこちら

本社を建て直して経営も立て直す

この場所でセントラルユニが創業したのは1951年9月26日、当時の社名は「田中製作所小倉工場」でした。10年後の1961年には新社屋を建てるのですが、これにはエピソードが社内の記録に残っています。

1961年9月9日新社屋竣工式があった。
創業来赤字経営だったのだが、それまでの古い社屋を壊して鉄筋コンクリート造りにする新築計画があり、支払能力もないのにとんでもないと強く反対しました。しかし、のちに3代目社長となる荒井氏が銀行に借り入れをしてまで強行し、結果としてそこから黒字経営になったのです。そこには荒井さんの覚悟があったと思います。

当時を知る先輩の振り返り
セントラルユニになる前の社名「田中機器販売」を掲げる本社社屋

黒字経営になったセントラルユニは挑戦することを続け、1966年には医療ガス供給システムで医療業界に参入を果たします。医療業界参入後10年目の1976年には田中機器販売からセントラルユニに社名変更を行い、社屋に掲げる看板も変わりました。

社名「セントラルユニ」を掲げる旧本社社屋

▼セントラルユニの歴史についてはこちら

会社の節目は本社のかわり目!?

そこから日が経つこと20年、本社をリニューアルします。その1995年の終わりには株式を日本証券業協会に店頭登録しました。

リニューアル後の旧本社

この新社屋から10年、現在の場所に移転し、この年にはグリーンホスピタルサプライ株式会社による公開買い付けに伴い、同社のグループとなり現在にいたります。会社の経営を左右する大きな出来事の際には本社が変わる傾向がどうやらセントラルユニにはあるようです。セントラルユニのユニークさを表しているようにも感じます。

お近くにお越しの際はぜひご覧ください

おかげさまでセントラルユニはまもなく創業74年目を迎えます。本社は東京に移転しましたが、メーカーである当社にとって大事な役割をもつ“工場”を北九州に構えています。これからもセントラルユニは創業の地で前に進んでいく所存です。もしもお近くにお越しの際にはこの記念碑を覗きに来てください。

所在地:〒803-0841 福岡県北九州市小倉北区清水1丁目13-20


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