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経営理念「価値創造」にかける思いとセントラルユニ71年間の歩み

セントラルユニは、2022年9月26日をもって71周年を迎えました。

私たちが創業より大切にしてきたのは「人間尊重・価値創造型企業」という企業理念です。

「人間尊重」「価値創造型企業」のどちらにも、大切な意味や思いがあります。

人間尊重:「人を大切にする」「他を利する」「(仲間を)信じて任せる」
価値創造型企業:「『相手の価値を創造する』という信念をもって事業活動を行う」

私たちはこの「人」を中心とした理念を掲げ、71年間歩んできました。

セントラルユニがどんな歴史を歩み、今までどんな価値をつくってきたのか?
少し長いですが、どうぞお付き合いください。


1950~60年代

はじまりは、鉄から

1951年に「株式会社田中製作所小倉工場」として設立しました。
「鉄は国家なり」と言われた“鉄の時代”に、福岡県小倉の地で若者たちがガス溶断機などの鉄鋼関連事業を始めました。

創業まもなく水害被害を受けるなど、苦境に立たされながらのスタートでした。当時はボロ会社で、給料の支給遅れもしばしばあったようです。

苦労しながらも、1961年には鉄鋼材を高圧ガスなどで加工する「スカーフィングマシン」の代理店業を行うまでに成長しました。

スカーフィングマシンのメンテナンスを担う

さらに、1963年には鉄鋼関連企業ながら、異色である水産機器の海苔製造機の製造に着手するなど、お客様の視点に立った「価値創造」をしながら成長を続けていきます。

海苔製造機

鉄から医療へ

1966年、私たちは大きな舵を切ります。
鉄鋼関連事業で培ったガスを制御する技術を応用して「医療ガスセントラルパイピングシステム」を開発し、医療事業をスタートしました。

酸素など患者の治療に必要な医療ガスを、供給設備から端末部までをパイピングすることで、従来にはない安定供給を可能にした、当時では画期的なシステムでした。

医療ガスセントラルパイピングシステム

この出来事が、今のセントラルユニをつくるきっかけとなりました。
私たちが医療ガスから医療事業に参入して56年経ちますが、今でもコア事業として医療ガス事業を続けています

そして、ここからセントラルユニは医療事業に集中していきます。

1970年代

メーカーとしてのブランドを確立し、医療事業で急成長を遂げる

医療ガス供給システムの販売以後、私たちは全国ネットのフランチャイズシステムを採用しながら医療事業を積極的に拡大していきます。

特に、製品開発には力を入れ、お客様の視点に立った「価値創造」をし続けました。代表的なのが、1974年に発売された「ICUウォールケアシステム」です。

ICUウォールケアシステム

ICU(集中治療室)の壁面に、これまでバラバラに設置されていた医療ガスや電気などの情報を集約することで使いやすさを向上させ、医師や看護師がより治療に集中できるようにしたシステムです。

当時、このシステムは日本に例がなく、病院のヒアリングを受けながら営業・開発とで試行錯誤を重ね、開発しました。

他にも、手術室向けの製品開発を進め、1976年には社名を「セントラルユニ」に変更しました。
翌1977年には自社ブランド「C&U」の制定をし、メーカーとしての立ち位置を確立しました。

1980~90年代

後の規格標準となる製品を生み出す

1981年、ある病院の手術中に、麻酔ガスと酸素を取り違えて患者が死亡するという事件が起こりました。

他社の製品を使って起こった事故ではありましたが、自社でも起こりうることだと受け止め、「不幸な事故を2度と起こしてはならない」と悩み抜き開発したのが、色で識別するカラーパイピングです。

「物干し竿」から銅管を色別に被覆するアイデアを着想
カラーパイピング採用後、事故は圧倒的に減る

このカラーパイピングは、後にJISの規格にも採用され、医療ガス設備を製造・施工する上での標準となっています。
セントラルユニの価値創造が後の業界標準となった、私たちにとっても印象的な出来事です。

医療サービス、物流分野へと事業を拡大

1980~1990年代には、さらに事業の幅を広げ、ハードな製品だけではなく、ソフトやサービス事業に力を入れていきます。

1982年には、納品後のメンテナンスを請け負うアフターサービス事業を立ち上げます。
さらに、病院内の医療材料の在庫管理の課題に気付き、1987年には「SPD」といわれる物品管理受託業務事業をスタートしました。

海外企業との提携によるシーリングペンダント(天井から電源供給するユニット)の輸入販売を開始するなど、海外からの知見を積極的に取り入れ、事業拡大をはかりました。

1994年には創業の地小倉に工場を竣工し、1995年には株式を日本証券業協会に店頭公開しました。

2000~2010年代

業績が赤字転落、ターニングポイントを迎える

私たちはここまで順調に成長を遂げてきました。
しかし、2000年代に入り事業が低迷しはじめ、2005年には業績が赤字転落し、苦境に立たされます。

このときは業績が悪いだけではなく、残念ながら社員もみんなバラバラの方向を向いて仕事をしていました。

そこで、企業理念の「人間尊重・価値創造型企業」に立ち返ります。
社員の目線を合わせ、新たな視点での製品開発に力を入れ、会社を立て直していきます。

手術室事業を拡大、「モノ」ではなく「コト」のデザインへ

「モノ」の提供に留まらず、働く人の仕事をデザインする「コトづくり」へ視点をおいた製品開発を進めていきます。

2008年には人に優しい空調システム「コンフォート・コンダクター」を、翌2009年にはフレキシビリティを追求した可変型手術システム「FLex DOCK」を開発し、手術室事業を拡大していきます。

2012年には「想像を、創造する」をコンセプトにしたショールーム「mashup studio」を文京区湯島にオープンしました。

3Dシミュレータを用いた手術室のシミュレーション

ここから、お客様の視点に立った最適な環境づくりをするため、3Dシミュレーターなどデジタルを利用した課題の可視化を行い、お客様に寄り添ったサービスの提供を強化していきます。

2020年代

つかう人を、つくる人に

そして、2020年代に入ってからは「つかう人を、つくる人に」をブランドコンセプトに掲げ、今まで以上にお客様の目線に立った製品・サービスづくりに力をいれています。

これからも、価値を創造する

この記事を読んで「価値創造をしてきた企業なんだ」「こんなに長く医療事業で実績があるんだ」と思っていただけたら嬉しいです。

歴史を振り返ってみて改めて感じたのは、私たちは常に「人間尊重・価値創造型企業」という理念を中心に歩んできたということです。

「お客様はもちろん、仲間である社員を思いやり、相手の価値を創造する」という意識を常にもち、経営の中心においてきたからこそ、71年間という長い時間を歩んでこれたのだと思います。

そして、医療事業に参入して56年という歴史と実績に責任をもち、私たちはこれからも、お客様の「価値創造」に力を入れていきます。

72年目のセントラルユニにも、どうぞご期待ください!

※コーポレートサイトでもセントラルユニの歴史や沿革を紹介しています。
よかったらご覧ください。
STORY - 株式会社セントラルユニ (central-uni.co.jp)
会社沿革 - 株式会社セントラルユニ (central-uni.co.jp)

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